チチカカ湖の次の目的地、お馴染みマチュピチュである。
まずはプーノからクスコへバスで移動。
4~5時間くらいかと勝手に想像してたところ、実際にかかったのは8時間。
腹が減って大変でした。
やっぱ食料は常に持ってないといかん。
そしてクスコの町に到着。
ただ、のんびりはしていられない。
腹も減りまくっているがそれは後回しだ。
大至急翌日のマチュピチュ行きのツアーに申し込み、入場券も入手しなければならない。
(直前にネットで調べたところいろいろ面倒くさいということを知った)
まずは日本語が通じるという旅行代理店へ。
向かう途中、中央広場の周辺でなぜか「マッサージ、マッサージ」とどこかの繁華街で聞いたことのある呼び込みが。
南米で初めて聞きました。
なぜクスコにだけこんなにマッサージ屋があるのだろう?
女性にも呼び込みをしていたし、なんか有名なクスコマッサージ的なものがあるのかもしれない。
さて、行った旅行代理店では「明日、明後日分の入場券と電車のチケットは無い」という話で一瞬愕然としたが、別のうさん臭い代理店で聞いてみたところ何とか明日分の手配が出来るとのこと。
ただし、出発は朝の4時。
…まあよし。
頼んますわ
(切羽詰まってても値切るのは忘れません)
無事にチケットも入手でき、写真も 輝いています
空腹も限界。
さすがにメシだ。
目星をつけていたうどん屋へ
頼んだのは”慕情さんうどん”
出汁の風味とか全く感じなかったが、死ぬほど腹が減ってたので美味かったです。
宿に戻ったら、旅行代理店から電話があったそうで、「4時ではなく3時に迎えに行く」との伝言。
もはや朝なのか夜なのか分からん。
そしてど真夜中の2時過ぎに起床。シャワーを浴びる。
寒いし暗いしとても微妙な気分である。
2階にある部屋の窓から外を見て迎えを待つ。
3時半、真っ暗ななか歩いてきた不審者らしきお迎えが私の泊まっている宿へ。
オーナーに一声かけて宿を後にする。
近くに停車してあるマイクロバスに乗り込んだところ、そこには既に数名が眠たそうに乗っている。
そこから更に数名をピックアップし、バスは2時間かけてオリャンタイタンボ駅へ。
ここでようやく夜明けである。
ここからは電車に乗ってマチュピチュ駅に向かうことになる。
マチュピチュ行きの電車
電車の中ではお茶とお菓子が出され、1時間半ほどでマチュピチュ駅に到着。
満席だったので、私が切符を取れたのはラッキーだったのかも知れない。
マチュピチュ駅
駅前のちっこい広場
ここからバスで20分、いろは坂みたいな道をひたすら登って遺跡に向かう。
大昔にこんな場所に都市を作ったというのは、確かにものすごい気がする。
感心しているうちに頂上へ。
遺跡入り口。中は食べ物持ち込み禁止、トイレ無し、禁煙である
1時間歩いて辿り着いた見張り小屋。
遺跡内にいるリャマ
上から見た遺跡
遺跡
遺跡と段々畑
半日ほどの観光を終え、来た道を同じように戻る。
マチュピチュ駅で戻りの電車を待つ人々
ここから電車に乗り、またバスでクスコまで戻る。
結局クスコに戻ったのは夜7時である。
早朝出発にも関わらずなかなかに時間がかかるツアーだ。
そりゃ晩飯食ったら爆睡ですわ。
翌日。
夕方のバス出発までクスコ市内を散歩する。
観光地でもある中央市場
市場中
豚ちゃんもいます
屋台の食材も新鮮なはず
この中央市場も面白かったが、そこから2ブロックほど歩いてみるともっともっと汚い庶民用の市場を発見。
匂いがすんごい。ハエも犬もたくさん
山積みのなんかの頭
ここは私にとっては実に生々しく感じられた。
日本ではお目にかかれない類の市場だと思う。
仰天して写真を撮っているとお店の人に笑われてしまいました。
更に歩くと線路上で商売する人々が。
みんなたくましく生きてます
このあたりでは、目の前でホームレス風のオヤジが金物屋で鍋みたいなのをかっぱらうのを目撃した。
後から出てきた店のおかみさんに頭をぶっ叩かれたあげく取り上げられていたが。
そのオヤジ、次は道端の露店から何かをかっぱらって逃走していくではないか。
…漫画みたい。
歩き疲れたので公園で一休み
さて、クスコ滞在終了とともにアンデス山脈での生活も一旦終了となる。
2週間近く高地に滞在し、高山病的な苦しみも味わったが大変楽しかった。
ここからは低地に降りて、また別の南米を味わうことにする。
とりあえず向かうはペルーの首都、リマである。