以下長文、駄文ご容赦願います。
なお今回、超まじめな内容ですので興味がない人は飛ばしてください。
逃げるように旅立った中南米旅行。
そしてまあ無事に帰ってきた。
旅行前と変わらない住居と変わらない近所の景色。
テレビでも、旅行前と変わらない面白くもなんともない番組が相変わらず流れている。
旅は終わり、本当に日本に帰ってきたのである。
現実社会に戻ってきたと言っても良い。
束の間の休息を取る。
無職なので、来月でも来年でも10年先でもいつまでも休息を取ることはできるがそうも行かない。
まずは自分の進路を決めねばならない。
今更ながらっていうのが自分事ながらあまりにもすごい。
旅の結果として人生の方向性が決まるようなことは、当然ながら無い。
自分探しの旅で本当に何かが見つかる程、旅は素晴らしいものではない。
(インドに行った旅行者なんかではいきなりそっち方面に進む人もたまにいるらしいが)
数日かけてじっくり考える。
自分がやりたいこと、出来ること、今の能力含めた実現可能性とその達成時期およびこれからの生活に伴う金銭的な問題。
客観的かつ現実的に。
とにかく自分と向き合う。
慣れない苦しい作業が続く。
……
……
ある選択。
うむむ……
うむむむむむ……
この選択は苦しい。
精神的にもかなり負担が大きい。
なにより「人として」という問題が多分にある。
……
いや、これだ。
全ては自分が招いた現状である。
ほかの誰のせいでもなく、自分のケツは自分で持たなければならない。
自分の人生は自分で決めなければならない。
数日後、私はある人の前にいた。
仕事の取引先のスーパーキーマンで、ずっとお世話になってきたKさんだ。
込み入った経緯があり、今は私が元々いた会社で幹部もしている。
つまり、私が会社を辞めた時は上司として大迷惑をかけてしまった当事者の一人である。
ずっと物凄い可愛がってくれてたのに私は会社を辞めた…
その席には私より前に会社を退職してしまった元々の私の上司だったSさんもいる。
というより、その方が「帰国祝い」ということで一席設けてくれたのだ。
最初は旅行の話など差し障りのない会話であるが、当然私の今後についての会話となる。
私はKさんに話した。
まだ全然詰まっていないながらも将来やりたいこと。
現状では能力的、金銭的に実現は困難で仕事の世話をしてほしいこと。
虫が良すぎる話ではっきり言って甘えである。
自分でも非常識の域を超えていると強く認識していた。
Sさんはほとんど黙って聞いていたが、長年に渡り可愛がってきたという思いもあるのだろう、要所要所で私の考えを擁護してくれた。
自分なりに必死にお願いはしたと思うが、それとは関係なくKさんの器は大きかった。
顔面に飛び蹴りをされてもおかしくない私のお願いを、とりあえず検討してくれることになった。
翌日、酒が入ってない状態で再度Kさんを訪問。
改めて今の私の考えを伝え、昨日と同じお願いをする。
Kさんはもう一人のキーマンにつないでくれた。
その方も私の退職により被害を被った最大の被害者の一人である。
私のことはKさんが前もって簡単に話をしてくれていたらしい。
明るく旅行の話題などを振ってきてくれるのが、物凄く心が痛む。
そして今後についての話題に。
私は同じ説明をした。
同じお願いをした。
その状況は土下座しているのと何ら変わらない。
申し訳なくて恥ずかしくて死にたくなる。
…いや、これが私の現実だ。
偉そうなことを言って部下を叱ってきても、偉そうなことを言って会社を辞めてもこれが考え足らずな自分が引き起こした紛れもない現実なのだ。
ただ迷惑をかけているだけ。
本当にありがたいことに、この方も以前と変わらず暖かい叱咤激励のお言葉を頂き反対されることはなかった。
言いたいことは山のようにあったと思う。私が辞めたせいでしなくて良い苦労をしたこともたくさんあったはずだ。
もはや言葉もない…
そして私は最も迷惑をかけたトップオブ被害者、会社の社長に電話をかけた。
なぜかとてもドキドキした。
とりあえず電話には出てくれ、「元気か?」と明るい声で応じてくれた。
その電話により、数日後に旅行報告を兼ねたランチをすることが固まった。
その間、Kさんが事前に大まかな趣旨を話しておいてくれてるのだから本当に頭が上がらない。
ランチ当日、慣れ親しんだ元の会社に顔を出す。
「旅行どうだった?」とか「顔焼けたなぁ」と気さくに声をかけてくれる人もいれば「お前よく顔出せるな」と当たり前の突っ込みを入れてくる人もいる。
当然顔を合わせるのを拒否する人もいる。
関係者全員に迷惑をかけたのだ。
普通に考えて、いま自分がここにいることは異常でしかない。
ただ努めて明るく振る舞う。
自分で一度決めたことだ。
全てのことをお詫びの気持ちと誠意を持って受け入れるほかはない。
そして大ボスの登場。
社長とKさん、私とで会議室に。
私は同様の説明とお願いをした。
どれだけ伝わったか分からないがお詫びの気持ちも伝えた。
一通りの話をすると社長は、「お昼に行こうか」と言った。
人生の節目には今までの生き方がさらけ出されることがあると思う。
自分の生きざまは鏡のように自分に跳ね返ってくる。
綺麗ごとで取り繕おうが自分をごまかそうが何の意味もない。
私は今回の件で自分の能力のなさと計画性の甘さ、不甲斐なさを嫌というほど痛感した。
そして周りの人々の理解や寛容さに心から救われた。
あとはこの一年、目標に向かって死ぬ気で走れるかどうかである。
自分が変われるかどうかである。
中年になっててもできるはずだ。
今回、こんな恥ずかしい顛末をなぜ投稿したかと言うと、自分に対しての戒めの為、関係者への感謝を忘れない為、そして読んでくださった方に反面教師として何かしら伝えられればとの思いからです。
まあこんな身の程知らずの阿呆はそうそういないと思いますが。